モネ展を見に行って思ったこととか

国立西洋美術館のモネ展が3/9までと知り、休める内に・・・と思って、先月末に有給使って行ってきた。
行ったのは平日の昼頃で、流石にこの時間帯なら混んでいないだろうと思っていたのだが、思っていたよりも見に来ていた人達が多くてちょっと驚いた。
やはり、メジャーな名前は違うなぁ、と。

肝心の中身については40点弱がモネの作品で、見応えもあり中々楽しかった。
そう、モネの作品は観ていて楽しい。
何が楽しいかというと、間近で見ると絵の具の固まりでしかないのに、ある一線を越えると絵に変わる。
この境界線を探すのが個人的に楽しく、油絵を見るときの楽しみでもある。

そして、全体を見た後、改めて間近で見ると、最初に見たときには気付かなかった模様や小物、色合い等に気付き、再度遠目に見てそれらの意図を知る。
例えば、適当に書き殴った様な茶色と白の線が、ちょっと離れると立派な線路になったり、只の白い絵の具が花になったり雲になったりと、何でこんな絵が描けるのか不思議に思いながら見るのが楽しい。

惜しむらくは、睡蓮と積みわらが二点ずつしか無かったことだろうか?
以前、何かの時に積みわらの連作を展示していたことがあったので、ああいうのを睡蓮でもやって欲しいと思うんだけど、所蔵先が異なるから難しいのだろうか?

あと、睡蓮のでかい方を遠くから見たかったのに、文花器の展示とぶつかってしまうのであまり離れて見ることが出来なかったのが残念。
ブリヂストン美術館で別の睡蓮を見たときは、結構後ろに下がっても大丈夫なスペースがあったので、大物を飾るときはそうして貰えると、個人的には非常に嬉しいんだけど。

でもまぁ、展示物そのものについては満足感の方が高いのでその辺は許容範囲。


逆に、気になったのは展示を見に来ている他のお客さん。
絵をどう見るかなんて言うのは個人の自由だと思うけど、それでも気になるのが二点。

一点目は列を成して、順々に見ていくということ。
時系列や意図があって順路を組んでいるのだろうから、それに沿って見るのは別に良いんだけど、絵の目の前に居るのに次の絵の順番待ちをするために真横を向いている人が多いのが、もの凄く気になった。
だって、今そこに、目の前に本物の絵が飾られているというのに、特等席に居るというのに、真横を向くってどういうことだ?
興味のない絵なのかもしれないが、それでもなんだか非常に勿体ないという気持ちが湧いてきて、非常にもやもやした。

二点目は、一点目に絡んでだけど、間近でしか絵を見ない人が多いと言うこと。
間近で見れるというのは貴重なことだし、俺も見るけど・・・正直言って、モネの絵を間近で見たってなんだか分からないじゃん。
大聖堂なんて、間近で見てたら何の建物かも分からないし、ただの薄ぼんやりとした絵の具でしかない。
でも、数歩後ろに下がるだけで、その全容が分かるし、それを分かった上で近づいて見れば黄色く光っているのがなんなのか、上下で色が違うのは何故なのか、とかとか、色々見えてくるのに、これまた勿体ない。

ひたすら蘊蓄を語りながら、通り過ぎるように絵の近くを歩いている人もいたけど、絵を見に来たのか蘊蓄を語りに来たのかよく分からない。
後者ならば、それはそれで目的を果たしているから良いんだろうけど、同伴者はそれで楽しいのかな?
とか、お節介なことを考えたりしつつ、途中からその辺は気にしないことにしてひたすら絵を見ていた。

結局のところ見に来た人が何を目的にしようと構わないので、楽しんだもの勝ちかな、と。